市電ぶらり途中下車の旅【後編】
街のシンボル
豊橋市内線を
行ったり来たり
沿線さんぽ
豊橋市民の足であり、街のシンボルでもある路面電車。正式名称は「豊橋鉄道東田本線」ですが、多くの方々には「市内線」あるいは「市電」と呼んだ方がしっくりくるかもしれません。その開業は1925年(大正14)、100年もの長きにわたって豊橋市民に親しまれています。
また、東海エリアで唯一の路面電車ということもあり、多くの鉄道ファンに知られています。そんな希少な公共交通機関である市電に乗って、停留所周辺をぶらりと探索してきました。〈2回連載〉
新川・競輪場前・井原・運動公園前
◆昭和を感じさせる銭湯[新川停留所]
いい感じでお腹も一杯になったので、腹ごなしついでに周辺を散策。その後、徒歩で駅前大通りを新川方面へ。豊橋郵便局のある交差点を渡り、そのまま東へ進みます。
2つ目の路地を入ると左手に、いい感じの建物が見えてきます。建物の正面には人蔘湯の3文字。純粋な昔からある公衆浴場で、周辺は住宅街であるため、辺り一帯が昭和にタイムスリップしたみたいな雰囲気です(大袈裟かもしれませんが)。
午後2時の営業開始を待って中へ。入口を入ると沓脱場、一段上がってロビーがあり、右に行くと男湯、左に行くと女湯というつくり。
昔の銭湯と大きく違うのは、浴室の方を向いて銭湯の人が座り、お風呂を監視しながら入浴料を受け取るかたちの番台がないこと。お客さんは入口の右手にあるフロントで料金を支払うようになっています。料金は大人が500円、小学生が180円で小学生未満が100円、男湯のみにあるドライサウナは200円で利用できます。予定もなく立ち寄ったため、何の準備もしてきませんでしたが大丈夫。貸出タオル(30円)もありますし、ボディーソープやシャンプー・リンスに加え、洗顔フォームや化粧水なども無料で使用できます。
ということで貸出タオルとあわせ、530円を支払って入浴。ドライサウナはこの後の予定に響きそうなので諦めました。やはり大きな湯船は気持ちよく、まだ日の高いうちに入る風呂は若干の後ろめたさも感じつつ優越感にも浸れます。
かつては豊橋市内でも数十件の銭湯が営業していたようですが、内風呂の普及などによってその数は激減し、残っているのは僅かに2軒。人蔘湯はそのうちの1軒であり、希少な存在です。多彩な風呂が楽しめるスーパー銭湯やテーマパークのような健康ランドが銭湯の主流になっている今だからこそ、なくなってほしくない、後世に残したい文化だと改めて感じました。
◆出番を待つ車両が見られる[競輪場前停留所]
◆謎だった筆文字看板[東八町停留所]
銭湯で汗を流し、リフレッシュしたところで再び市電に。新川停留所から運動公園行きに乗車します。今朝、朝市見物に降りた前畑停留所を通過。次の東田坂上と東田、2つの停留所も過ぎ、競輪場前停留所で下車します。名前の通り、豊橋競輪場の最寄りの停留所ですが、競輪場までは少し距離がある上に、競輪開催時には豊橋駅前から無料シャトルバスが出ているため、競輪場へ行くお客さんはあまり利用しないのだそうです。
そんな競輪場前停留所で下車したわけは、見てみたいものがあるため。それは停留所の近くにある豊橋鉄道の市内線営業所の脇。電車留置線が引き込まれていて、常時、車両が留置されていることに加え、駅前停留所から競輪場前停留所まで複線の市内線が、当停留所から単線に変わるため、鉄道ファンならずとも、見どころのある停留所なのです。
◆井原カーブと伝説の町中華[井原停留所]
次に目指すのは競輪場前の1つ先、終点の1つ手前の井原停留所。ここのユニークなところは、交差点を挟んで乗り場が駅前方面行き・赤岩口方面行き・運動公園前方面行きの3つに分かれていること。それは井原の交差点で赤岩口へ向かう本線から、運動公園前へ向かう支線に分岐するため。初めての人にとっては、ちょっと不思議な構造です。
そして注目されるのが、交差点の中心付近から運動公園前方面へ向かう支線の急カーブ。このカーブは半径11mで、日本の鉄道線路の中で最も急なカーブだということ。鉄道ファンの間では井原カーブと呼ばれているそうです。ちなみに豊橋鉄道が所有している超低床車両「ほっトラム」(T1000形)は、井原カーブを曲がることができないため、赤岩口方面のみで運行されています。
ということで、日本一の急カーブを味わうとともに、もう一つの目的を果たすことに。それは清和園です。清和園はかつて札木町にあった中華料理店で、半世紀以上にわたって多くのファンに愛されてきたものの、2017年に惜しまれつつ閉店。そんな町中華の名店が復活し、しかも場所は井原停留所のすぐ近くだと聞き、これは行くしかないと決めていました。
そうして井原カーブを曲がった先にある停留所に到着しました。道路の向こう側に黄色地に清和園と書かれた看板を発見。逸る気持ちを抑え、店へ向かいます。しかし、店に近づくにつれ、何かおかしいことに気づきます。看板は残っているものの、ガラス越しに店の中を覗いてみたら、店が営まれている様子がありません。事前に定休日でないことを確認してきたし、時刻は午後の5時過ぎで営業時間内であるはず。にもかかわらず開いていないということは・・・・・・。仕方がありません。完全に中華を食べる口になっていただけにショックが大きかったのですが、徒歩で終点の運動公園前停留所に向かうこととしました。
◆心和む公園と思わぬ出会い[運動公園前停留所]
運動公園前停留所は岩田運動公園の目の前にある停留所で、1982年(昭和57年)に支線開業と同時に開設されました。公園内にある豊橋市民球場で中日ドラゴンズの公式戦が行われる際には、臨時列車が運転されるので、利用された方も少なくないと思われます。
いよいよ公園に近づいた時、ふと横を見ると、店の入り口に見覚えのある赤文字の暖簾。間違いなく「清和園」と書かれています。早速中へ入ると、見た感じ1/3ぐらいの席が既に埋まっていました。「一人ですけど」と声をかけると、「大丈夫ですよ。どこでも空いているところへ」と。出入り口近くのカウンターに座ろうとしたところ、視線の端に券売機が。何を食べようか考えていなかったのですが、ラーメンに決定。カウンター越しに食券を渡しながら着席し、待ちます。この時は女性店主が一人で切り盛りしているようで、調理に配膳にと忙しそう。テーブルのサラリーマン風のお客さんは、自ら料理を受け取りに行き、食事を終えると空いた器をカウンターまで運ぶなど、とっても協力的。帰りしなには店主が「気をつけて、いってらっしゃい」と笑顔で送り出し、愛されている店なんだなぁと感心。
すると「お待たせしました」の声。運ばれてきたのは、チャーシューとメンマ、そして茹でたもやしと青ネギがトッピングされた、オーソドックスな醬油ラーメン。一旦諦めながらも、こうして引き合わせてくれた神様に感謝しながら、いただきました。いろいろなものを差っ引いても美味しく、しつこさがないため、何度も食べられる味なのかなと感じました。
しかし、気になるのは井原の店のこと。ちょうど何人かのお客さんが退店し、空いてきたタイミングで店主に「井原の店は」と質問したところ、「テナントで入っていた建物が取り壊されるということで、こちらに移転」したと答えてくれました。
そんな店主の金田かよ子さんは、かつてアルバイトとして清和園で働いていたそう。2000年頃、先代店主(溝川清和さん)が高齢を理由に店を閉めると決断した際、金田さんが後継者に名乗り出て、それから必死に先代の味を学び二代目店主に。
およそ17年間、常連客の信頼も得て店を守り続けたものの、高齢を理由に閉店。のんびりと老後を過ごすつもりだったのですが、次第に退屈に。かつての常連客からのたっての要望もあり、店の再開を決意。ただ、札木町の店はすでに別の店が入っていたため、2020年6月、井原停留所近くの空きテナントを借りて新生・清和園をオープン。そして2023年5月に、岩田運動公園近くに再移転しました。
1965年(昭和40年)の創業から長く愛されてきた伝説の町中華「清和園」。豊橋の希少な昭和遺産として、いつまでも受け継がれて行って欲しいなと思いました。ただ、後から知ったことですが、清和園の看板メニューは天津飯とチャーハンなのだとか。次はチャーハンで決まりです。
当初の目的を果たし、お腹も満たされたので気持ちも新たに岩田運動公園の中へ。岩田運動公園はその名の通り、野球場やサッカーグラウンド、テニスコートなどのスポーツ施設があり、多くの豊橋市民に親しまれています。また、北側にある水神池の周りには遊歩道が整備され、周辺には桜や芝が植えられ、秋から冬にかけてカモが飛来するなど、自然豊かな癒しのスポットとなっています。
ちなみに現在の公園がある場所の開発は、1670年(寛文10年)の平川新田開発のために行われた水神池の建設が始まり。その後、1688年(貞享5年)に池の南側に空き地が築造されました。それから約300年経った1978(昭和53年)に、岩田運動公園の建設工事がスタート。1980年(昭和55年)に豊橋市民球場が完成し、1989年(平成元年)に全面供用が開始されました。
水神池は灌漑用につくられた溜池であり、公園整備に伴い当初の半分程に縮小。水面積1万7000平方メートル、貯水量1万立方メートルと決して雄大ではありませんが、散歩コースとしてちょうどいい大きさ。ゆっくり、のんびりと季節を感じながら歩くだけで、清々しい気持ちになれます。
運動公園内の散策を終え、運動公園前停留所へ。駅前方面行きに乗車します。普段クルマで走り慣れている風景も、ガタン・ゴトンと揺れながら走る列車から見ると、少し違って見えるから不思議です。
駅数14、路線総延長5.4キロメートルの市電は、通勤や通学、買い物など、日常的に利用される沿線の人々にとっての大切な“足”であることに間違いはありませんが、乗るだけでプチ旅行気分も味わうことができる乗り物と言えるかもしれません。
「チンチン電車」として郷愁を誘う一方で、昨年8月に栃木県宇都宮市で宇都宮LRTが新規開業するなど、都市交通として路面電車が見直されている今、いつまでも大切にするとともに、「豊橋には市電がある」と誇りを持ちたいなと改めて思いました。皆さんも電車でGO、してみませんか?