手漉き和紙職人 寺田 幸代さん
ユネスコの無形文化遺産“本美濃紙”
Episode1
1300年の歴史を持つ美濃和紙
2014年に『和紙 日本の手漉き和紙技術』として島根県の石川半紙、埼玉県の細川半紙と共に岐阜県の“本美濃紙”がユネスコの無形文化遺産に登録されました。
日本中でも特に繊細できめ細かい丈夫な美濃和紙。江戸時代には「美濃」と言えば障子を表すほど全国的に普及しました。
そんな美濃和紙に魅せられたのは寺田幸代さん。神奈川県から和紙の里 岐阜県美濃市に移住し、手漉き和紙職人の道へ飛び込みました。
気が付くと紙が好きで、小学生の頃から便せん集めが趣味。
「好きなものは好き。理由はつけられないです!」。
大好きな和紙には超が付くほど真っ直ぐ向き合う。他の地域に赴いて手漉き技術を見学したり、全国の気になった紙を買ってきたりと頭の中は和紙でいっぱい。
「興味があることには常に120%で取り組みます。楽しいことを続けていたら良い方に向かうと思っています!」。
こんなに前向きでパワフルな職人さんは見たことがありません。
そんな寺田さんを温かく見つめるのは師匠である澤村さん。
30歳を機に大好きな紙に関わる仕事をしたいと思い、相性が良い占い師の元へ。手相を見てもらうと『(その仕事は)あなたにピッタリだから、とりあえず今すぐ行って挑戦しなさい!』と言われました。まるで漫画のような展開…。
全国にいる紙に関わる職人を見る中で訪れたのが岐阜県美濃市。第一印象は住みやすそう。占い師に言われた『相性が良い所に行けば直感ですぐ分かる。あなたはその土地で無くてはならない人になるから。』という言葉の通り、今では美濃市を支える紙漉き職人に。
「この仕事しか考えられない!」と断言してしまうほど、美濃和紙に惚れ込んでいます。
母が祖先を調べてみると、岐阜に住んでいたことが判明。
「私は来るべくして美濃に来たんです」。
まさに運命という言葉を信じざるを得ません。
Episode2
紙漉きが楽しくて仕方がない!
工程のほとんどが力仕事で、紙漉きはまるでスポーツ。重たい機材を持ち上げたり、紙を漉く際手首を返す動作があったり。腰痛や腱鞘炎に悩まされることもよくあります。
「大変だけど、私は趣味を仕事にしたようなものだから。出来る限り和紙を漉いていたい」。
本気で紙を漉いているからこそ、師匠の澤村さんと衝突することも。ぶつかり合えるのは、そこに信頼関係があるから。
お二人の話している姿を見ていると、本当の親子だと間違えてしまうほど。
「嫌なことがあってもそれは良いことの布石になる」。
夢中になれる仕事に全力で取り組む姿がとても眩しく映ります。
幼い頃は母親の後ろに隠れているような静かな子供でした。笑顔が素敵な今とは正反対の性格。
美濃は人とのつながりが強く、困っている時は必ず周りが力を貸してくれる。帰宅すると、近所の畑で採れた野菜が玄関に置かれていることも。
生まれ育った横浜で何か始めたくても“ああ、頑張ってね”と言われるだけ。
「美濃は住みやすくて、温かい場所なんです」。
話しかけて打ち解けると、親身になってくれる美濃の人たち。
「話すことが苦手だった私は、美濃で生まれ変わりました」と満面の笑み。
美濃市には都会にはない、静かに迎えてくれるような居心地の良さがありました。
Episode3
“洋紙は100年、和紙は1000年”。和紙の寿命はけた違い。
最古の美濃和紙が残っているのは奈良県の正倉院、西暦702年の戸籍用紙だ。美濃国(昔の名前)では豊富な揖斐川の水に恵まれ奈良時代から紙漉き産業が盛んだった。最盛期は5000戸ほどで紙漉きが行われていたが、今では数えるほど。
江戸時代以降、問屋町として栄えた長良川付近。良質な美濃和紙を使った岐阜の工芸品である岐阜提灯・岐阜和傘・岐阜うちわが生まれた。
幼い頃は母親の後ろに隠れているような静かな子供でした。笑顔が素敵な今とは正反対の性格。
美濃は人とのつながりが強く、困っている時は必ず周りが力を貸してくれる。帰宅すると、近所の畑で採れた野菜が玄関に置かれていることも。
生まれ育った横浜で何か始めたくても“ああ、頑張ってね”と言われるだけ。
「美濃は住みやすくて、温かい場所なんです」。
話しかけて打ち解けると、親身になってくれる美濃の人たち。
「話すことが苦手だった私は、美濃で生まれ変わりました」と満面の笑み。
美濃市には都会にはない、静かに迎えてくれるような居心地の良さがありました。
和紙の原料は、楮(こうぞ)・三椏(みつまた)・雁皮(がんぴ)・トロロアオイ(黄濁葵)。
さらし・煮熟(しゃじゅく)・ちりとり・叩解(こうかい)・紙漉き・圧搾・乾燥・選別・裁断の工程を経て和紙は完成する。
美濃和紙の中でも“本美濃紙”は伝統技法により生産される障子紙を指します。漉きむらが少なく、薄い。光を通すと白さが増すのが特徴だ。
和紙の原料は、楮(こうぞ)・三椏(みつまた)・雁皮(がんぴ)・トロロアオイ(黄濁葵)。
さらし・煮熟(しゃじゅく)・ちりとり・叩解(こうかい)・紙漉き・圧搾・乾燥・選別・裁断の工程を経て和紙は完成する。
美濃和紙の中でも“本美濃紙”は伝統技法により生産される障子紙を指します。漉きむらが少なく、薄い。光を通すと白さが増すのが特徴だ。
Episode4
澤村師匠から寺田さんへ。受け継がれる紙漉きのバトン。
和紙には、職人の心そのものが表れます。
なんと同じ環境で漉いても、その日の体調や気分によっても和紙の質が変わってしまうのです。職人たちは、見るだけで誰が漉いた和紙なのか分かってしまう。
余計なことを考えていたら、よい和紙を漉くことはできません。
「漉き終わった和紙を見て、師匠に心を見透かされてしまうこともあります」。
和紙はまるで心を映す鏡のよう。誰が漉いた和紙が分かるというのがとても不思議。
「横見をせず、納得しないと人の意見は聞かない。私の漉く紙は“かたい”んですよね…」。
和紙への愛がブレない。寺田さんの気持ちの強さが伝わります。
強さだけではなく、しなやかさを兼ね備えた和紙を目指す。
和紙は身体ではなく“心”で漉くものです。
心で漉いた和紙で生計を立てること。
それが師匠から受け継いだバトンを次の世代に繋げる方法です。
「伝統的な漉き方は変えられないけど、販売の仕方と宣伝方法は時代に合わせて変えていかないといけません」。
機械化に伴いこれからの時代に残るのは、人が売る仕事。
美濃市を盛り上げる1人として、手漉き和紙職人の1人としてほとんど休みなく働いています。「美濃をよくするために、やりたいことがたくさんあって、時間が足りない」。
寺田さんは占い師の言う通り、この土地に無くてはならない存在なのです。
Episode5
あとがき
“好きなことには常に120%で臨む!”という言葉に思わず「かっこいい…」。と、ため息がこぼれました。好きなことに貪欲に生きることは難しく、年を重ねることに諦めてしまうことが多くなる気がします。寺田さんの生き方そのものに感銘を受けてしまいました。
美濃市蕨生(わらび)は深い山の匂いに満ちていて、夜は満天の星を見ることができます。工房を見せてもらうと、どのように使うのか分からない大きな装置が並んでいました。
和紙には漉いた人の内面が出る。これを知ったら、1枚の和紙にどれだけの想いが詰まっているのか考えざるを得ません。
豊かな水と思いやりの心を持つ美濃の人がいるからこそ、1300年の間絶えず紙漉きのバトンが繋がっているのです。
寺田さんが漉いた和紙からは、和紙への愛と、郷土愛がにじみ出ているに違いありません。全力で紙漉きに向き合うパワーに圧倒され、憧れてしまいました。
SHOP INFORMATION
店名 | 手漉き和紙職人 |
住所 | 〒501-3788 岐阜県美濃市蕨生2050-2 |
電話 | 0575-36-4786 |