地元の非日常

市電ぶらり途中下車の旅【前編】

街のシンボル

豊橋市内線を

行ったり来たり

沿線さんぽ

豊橋市民の足であり、街のシンボルでもある路面電車。正式名称は「豊橋鉄道東田本線」ですが、多くの方々には「市内線」あるいは「市電」と呼んだ方がしっくりくるかもしれません。その開業は1925年(大正14)、100年もの長きにわたって豊橋市民に親しまれています。

また、東海エリアで唯一の路面電車ということもあり、多くの鉄道ファンに知られています。そんな希少な公共交通機関である市電に乗って、停留所周辺をぶらりと探索してきました。〈2回連載〉

前畑・東八町・札木・駅前大通

◆さあ、いよいよ出発、市電でGO![前畑停留所]

起点である駅前停留所へ。ホームの端にある券売機で1日フリー乗車券(550円)を購入します。これは乗車券を購入した日であれば、何度でも乗り降り可能というもの。大人の運賃は一律200円なので3回乗車する予定のある人にはおススメの切符です。

では、ここで市電のおさらいを。豊橋鉄道東田本線はJR豊橋駅近くにある駅前停留所を起点に、郊外の赤岩口停留所または運動公園前停留所を結ぶ軌道路線。路線の総延長は5.4キロメートルで、14の停留所があります。なお、札木―東八町間は国道1号線上にあり、日本で唯一、現代の東海道・国道1号を走る路面電車として知られています。

そうこうするうちに最初の目的地である前畑停留所に到着。駅前停留所から数えて8番目、多米街道(愛知県道4号豊橋大知波線)に入った最初の停留所で、周辺は住宅街であるため、主に地域住民の足として利用されています。そんな前畑停留所を一番に目指した理由、それは朝市です。豊橋で朝市が開かれていることを意外に感じる方も多いと思われますが、実は大正初期に始まったとのことです。

前畑の朝市は「三八(さんぱち)の市」と呼ばれ、3と8のつく日の7時頃から12時頃まで開催されています。場所は前畑停留所から坂を少し上った路地。大正時代から続いているそうで、野菜の出店者に話を聞いたところ、「この辺りは近くにスーパーがなかった」ことで市が開かれるようになり、最盛期には「この道のずっと向こうまで店が並んでいた」とのこと。現在は昔ほどの賑やかさはないものの、現在でも野菜や花、衣類や雑貨などの店が出ています。

ちなみに豊橋市内では、前畑の「三八の市」の他にも、羽田八幡宮の「一五の市」、松山公園の「二七の市」、龍拈寺の「四九の市」、柱一番町の「六十の市」が開かれています。興味のある方は訪れてみてはいかがでしょうか?

採れたて新鮮な野菜を販売しているお母さん
季節の花のお店。他にも洋服や雑貨のお店も出ています

◆混然一体となった空気感の魅力

◆謎だった筆文字看板[東八町停留所]

朝市見学を済ませ、駅前行きに乗車したところ、思い出したモノがあり、急遽、東八町停留所で下車することに。たった1区間の乗車ですが、1日フリー乗車券があるので気にする必要はありません。

思い出したモノとは、東八町の歩道橋のところにある、白地に「もちや」と「こうじ屋」と大きく書かれた筆文字の看板。非常に存在感があり、尚且つ道を挟んで2つ並んでいるのでいやでも目を引きます。自動車で浜松方面に向かう時に右手に見え、そのたびに「何だろうな」とモヤモヤとしながら通り過ぎていました。そこで今回、事前準備もなしに怖いもの見たさ(?)で店を訪れました。

まずは「こうじ屋」へ。この日はわけあって立ち寄れなかったのですが、ネットで調べたところ、この店の正式名称は平井こうじ屋といい、創業から数えて百七十年以上、今のご主人で七代目という老舗でした。伝統の技で仕込んだ生麹は甘みと菌の強さが特徴なのだとか。甘酒の素や塩麹、金山寺みそなども販売しています。

続いて「もちや」へ。ここの正式名称は八町もちや。こちらも百年の歴史を持つ老舗の餅菓子店で、街中で開業したものの、戦争で店を焼失してしまったため、戦後になって現在地に移転したのだとか。大福などの餅菓子やお赤飯、投げ餅といった定番品に加え、わらび餅や柏餅、牡丹餅やおはぎ、水ようかんや栗ようかん、苺大福など、季節に合わせた商品を製造販売しています。開店は朝8時ですが、新規商品の場合、昼前に売り切れてしまうことも。そのためお目当ての品をゲットするには、なるべく早めに訪れることをお勧めします。

ちなみに八町もちやのある所は、吉田城の東惣門があった場所で、店の前にはスケールダウンして復刻された門が設置され、筆文字の看板にもマッチしているような。また、目の前を走る路面電車との取り合わせは、ちょっと懐かしく、哀愁が漂います。

店を出て外観を撮影している時に、お店から出てきた年配男性に声を掛けられたので、少し訊いてみたところ「通い始めて50年以上。餅菓子はここ以外で買わない」と絶賛していました。最後に残っていた大福(3個パック)を購入。本物のお餅だから香りも良く、歯ごたえもしっかりしていて、つぶあんとの相性も良く、本当においしい大福でした。

◆今も現役! 昔ながらの街の本屋さん[札木停留所]

東八町停留所から再び駅前行きに乗車。電車は豊橋公園前、市役所前を通過し、西八町の交差点で大きく左にカーブ、国道1号から国道259号田原街道に入ります。街の様子が変わってきたので札木停留所に到着で下車することに。停留所から東側へ渡り、ぶらぶらと散策を始めます。田原街道を少し北に上がると東海道と書かれた案内板を発見。江戸時代から続く主要街道に足を踏み入れ、しばらく行くと左手に本の豊川堂の看板を見つけたので立ち寄ることにしました。

では、ここで豊川堂のプロフィールをざっくりと。創業は1874年(明治7年)、その2年前に施行された学制令により、豊橋にも尋常小学校が設置されたのに伴い、書店として店を構えるとともに、尋常小学校で使用する教科書の出版を開始。東三河の郷土本も出版し、最近でも豊川海軍工廠(軍隊直属の軍需工場のこと)をモチーフとした「砂の記憶」や「東三河出会いの野鳥」を発行するなど、地域文化の発展に寄与しています。ちなみに教科書や学校教材なども扱っているので、東三河の高校に通っていた人には、おそらくお馴染みだと思います。[参考:豊川堂ホームページ]

ということで入店。入口を入って左手には文房具が並び、右側に雑誌、奥に進むと単行本や専門書、文庫本や新書のコーナーがレイアウトされています。街中の本屋さんなので、郊外型の店舗と比べると広くはない上に、ぎっしりと本棚が並べられている分、通路幅も狭めで、やや圧迫感がありますが、だからこそこれぞ昔ながらの本屋さんという雰囲気。不思議と落ち着ける空間です。

近年、雑誌・書籍のデジタル化が進んだことで、全国的に本屋さんがどんどん閉店していると聞きます。いわゆるZ世代と言われる若い人たちだけでなく、オジサン世代もスマホやタブレット端末で読む派が増えているそうですが、やはり紙の本には独特の良さが。実際、足を踏み入れると紙のいい香りがして、やっぱり本屋さんっていいなと思いました。

足掛け3世紀にわたって東三河の文化を支えている地域随一の老舗書店

◆ザ食堂、まちに溶け込む老舗の大衆定食屋[駅前大通停留所]

札木停留所から駅前方面行きに再び乗車します。時刻は11時を少し過ぎたところ。電車で移動しながら停留所付近を歩き回ったこともあり、ちょっとお腹が空いてきたので、早めの昼食を摂ることに。そこで終電の1つ前、駅前大通で下車し、ぶらりぶらり。すると歴史を感じさせるレトロな外観の食堂を発見。オレンジ色の下地に丸ゴシック体で店名のみが大きく書かれた看板は、どこか懐かしく、飾り気がないがゆえにむしろ異彩を放っています。ということで、平和食堂で腹ごしらえすることとしました。

早速入店。11時台というのに、4つあるテーブル席には既にお客さんが居て、左手の小上がりにも2人組の女性のお客さんが座っていました。すると「奥へどうぞ」と声を掛けられたので、店の中を進んで座敷席に上がり、入口に向かって着座。店内を見渡すかたちに。程なくお冷が運ばれてきたので、日替わりランチを注文します。

料理を待つ間、店内を見渡していると、次々とお客さんが来店。店の人が「相席になりますが」と声を掛けると、皆さん常連なのでしょうか、迷わず空いている席に座り、先に座っている人も水の入ったグラスを少し避けてスペースをつくります。そうして席はどんどんパズルのように埋まっていきます。お客さんはスーツを着たサラリーマンや作業着姿の建設関係者、年配の男性、家族連れなど、まちまち。殆どは近所の住人や店の近くで働いている人のようです。

すると目の前の座敷席の2人組の女性客が、日替わりランチを注文すると「味噌汁は豚汁に変更できます?」と訊き、店の人が「はい。250円追加になります」と返答。その後も多くのお客さんが、豚汁への変更を申し出ます。正直、失敗したと思いましたが、後の祭りです。そうこうするうちに「お待たせしました。ランチです」と食事が運ばれてきました。本日のランチは味噌かつ丼で、豆腐のみそ汁と漬物が付いて650円。カツは柔らかく、甘めの味噌だれのやさしい味。空腹でかなり仕上がっていたため、あっという間に完食。

「ごちそうさま」と声を掛けて料金を払い、お釣りを待つ間に近くのテーブルを見ると豚汁が。赤味噌の色が濃い見た目で、想像していたものとのあまりの違いに、どんな味かと興味が湧き、余計に食べてみたくなりました。次の機会には、絶対に豚汁とレジ脇に置かれた総菜をつけようと心に誓いました。

(つづく)

レトロな雰囲気を発するシンプルな外観
この日のランチは味噌かつ丼。650円

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